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ミズ・パックマン

1,580 バイト追加, 2019年10月3日 (木) 05:39
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'''ミズ・パックマン'''([[英語]]:Ms. Pac-Man)とは、1981年に米国のゲームメーカーである[[Midway Games]]から発売したパックマンの亜種である。

マサチューセッツ工科大学の学生だったケビン・カランとダグ・マクレーは様々な人気ゲームの亜種をATARI 2600に移植していた。ちょうど「Crazy Otto」というパックマンの亜種を開発していたとき、ATARIから「亜種ゲームを乱発している」という理由で訴訟を起こされゲームを発売できなくなった。

ケビンとダグは「Crazy Otto」を発売するため、当時アメリカでパックマンのライセンスを保有していたMidway Gamesに連絡を取り、権利を売却した。Midway Gamesはこれをアーケードゲーム「Crazy Otto」としてまず発売した。

名前を「Miss Pack-Man」に変更。

その後、パックマンに子どもがいることが判明したため、未婚か既婚かを問わない「Ms. Pack-Man」に変更。

ミズ・パックマンを発売するという話はパックマンの開発元であるナムコ(後のバンダイナムコエンターテインメント)の中村雅哉社長の耳にも届いており、中村氏もミズ・パックマンのキャラクターデザインに協力しました。また、ミズ・パックマンはナムコからも正式な公認を受けており、ナムコが後に発売したナムコミュージアムにもミズ・パックマンが収録されています。

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