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PCエンジンDuo

4 バイト追加, 2019年3月13日 (水) 02:04
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 1991年は[[PCエンジン]]の大きな転機になった年だ。1987年秋に始まったPCエンジンもすでに4年目、先進的な設計のマシンではあったが当初主力だった[[HuCARD]]による[[アーケードゲーム]]の移植作(主に[[シューティングゲーム]])も技術的にも売り上げ的にも頭打ち状態になり、前年年末には任天堂が16ビット機「[[スーパーファミコン]]」を発売して一挙にシェアを確保してしまい、PCエンジンは先端マシンの地位を失いつつあった。89年から90年にかけて廉価版「[[PCエンジンシャトル]]」や上位互換機「[[PCエンジンスーパーグラフィックス]]」、さらには携帯型「[[PCエンジンGT]]」といった複数並行路線もとってみたがいずれも失敗に終わり、PCエンジンのライバル機に対する優位性は[[CD-ROM2]]システムのみと言ってよかった。
 それならば、と打ち出されたのがPCエンジンをCD-ROMマシンに特化させるという方向である。従来のCD-ROM2システムではバッファRAMの少なさに難があったのでバッファRAMを4倍の2Mビットに拡張した「[[SUPER CD-ROM2]]」へのバージョンアップが決定され、従来のCD」へのバージョンアップが決定され、従来の[[CD-ROM2システム所有者にはシステムカードのバージョンアップ「ROM2システム]]所有者には[[システムカード]]のバージョンアップ「[[スーパーシステムカード]]」で対応、「[[白PC]]」「[[コアグラ]]」「[[SG]]」といった本体のみ所有者向けにはドライブのみのハード「[[スーパーCD-ROM2]]」で対応することにした。そして新規顧客獲得のためのメインマシンとして大々的に発売されたのが、最初からCD-ROMドライブを一体化させた、この「PCエンジンDUO」だった。「DUO(デュオ)」というシャレた名前はHuCARDとCD-ROMの2本柱を一体のマシンに同居させたことに由来すると思われ、名付け親は当時NEC-HEでハード設計に関わっていた高垣信宏氏であったという(雑誌「ドリマガ」2003年19号特集「PCエンジンの伝説」の高垣氏インタビューで本人がそう語っている)。
 この「DUO」は家庭用ゲーム機の歴史において、世界初のディスクドライブ一体型マシンという重要なポジションを占める。そもそもCD-ROMシステムじたいPCエンジンが世界初だったのだが、あくまでオプション機器だった。「DUO」は最初からSCDソフトを遊ぶための設計になっており、HuCARDのほうがオマケでついてる状態になっている。システムカードなど難しいことは一切なく、電源を入れればSCDシステムが起動し、CD-ROMをドライブにセットしてRUNを押せばゲームが起動する、実にユーザーフレンドリーな作りである。[[ノートパソコン]]を意識し、携帯性を考慮した薄くて軽くてスマートなボディ、落ち着いた黒ベースのカラーなど、それまでどうもゴツゴツして玩具的なところが多かったTVゲームマシンの常識をひっくり返すぐらいインパクトのあるデザインだと思う。実際、この「DUO」はこの年の通産省グッドデザイン賞を受賞している。
「DUO」以降のCD-ROMマシンのデザインに与えた影響も多大と言われ、1993年に出た「[[メガドライブ2]]+[[メガCD2]]」にも影響が感じられるし、家庭用ゲーム機的位置づけの[[富士通]]の[[パソコン]]「[[FM-TOWNSマーティ]]」もよく似ている。1994年に出そろう32ビットCD-ROM機「[[3DO]](とくに「[[3DOリアルII]]」はそっくり)」「[[プレイステーション]]」「[[セガサターン]]」も基本的には「DUO」が決定づけたデザインを踏襲していると言える。そのときNEC-HEは「[[PC-FX]]」をパソコンを思わせる縦型デザインにしてまたも「常識」をひっくり返し(「[[PS2]]」に6年先駆けていた)、またまた通産省グッドデザイン賞を受賞することになったりするのだが、こちらは商売としては全然成功していない。
== 細部を細かく見ていくと ==
従来のCD-ROM2システムは、左側にCD-ROMドライブ、右側にPCエンジン本体という構成になっていたが、「DUO」では左右が逆転、CD-ROMドライブは右側につき、HuCARDスロットとPCエンジンの心臓部は左側に配置されている。これは世間は右利きが圧倒的に多いわけで、CD-ROMをメインに扱うならそれは右側にあるべきとの判断と思われる。つまりHuCARDは完全に「おまけ」になっていることがこんなところからもうかがえる。
 パッドがなければ遊べないから、当然「DUO」にもパッドが同梱されていた。同梱されていたのはすでに標準となっていた連射機能つきの「ターボパッド」だが、カラーリングが「DUO」のボディカラーにあわせた黒&青になっており、DUOとセットでしか入手できないバージョンとなっていた。僕は「DUO」を中古で買ったのだが、同梱されていたのが「コアグラII」色のタイプで、いまだにDUOカラーのターボパッドは所持していない。
== PCエンジン界の再興と衰退 ==
 「DUO」の価格は6万円弱と、今から考えてもかなり高く思える。だが従来の白PCもしくはコアグラフィックスとCD-ROM2システムでも合計すれば8万円を超したお値段だったんだから、これでもかなり安くしているといえる。1994年の32ビットマシの多くが当初は5万円台前後でアナウンスされていたぐらいで(3DOなんて当初は8万円近くだったはず)、ハード売上で利益を上げようとすればそのぐらいの価格が自然であり、それ以下に下げればあとはソフトのロイヤリティ収入をアテにしなければならない。PCエンジンの場合ハードはNEC-HEが売っているがソフトの方のロイヤリティは大方ハドソンに行くようになっていたらしく、NEC-HEとして価格をあまり下げられない事情もあったみたいだ(「ゲームラボ」誌2007年12月号に載った当時のNEC-HE社員のインタビューによれば、それで後期はNEC-HE自身がソフト販売に乗り出すことになったという)。
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