PCエンジンDuo-RX

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発売元:NECホームエレクトロニクス 発売:1994年6月25日 価格:29800円 商品番号:PCE-DUORX

PCエンジン最後のハード

 この「PCエンジンDUO-RX」は、SCD一体型「DUO」シリーズの最後のモデルであり、1987年の発売以来乱立をきわめた数あるPCエンジンハードの最後のマシンでもある。

 1991年に「DUO」が59800円で発売され、PCエンジンは「SUPER CD-ROM2」路線にほぼ一本化されて他機種とは一線を画した独特の世界を形成することに成功した。勢いに乗ってNEC-HEは1993年3月に「DUO」の機能を削減して価格を39800円まで下げた廉価版「DUO-R」を発売、いっそうの普及をもくろんだ。実際1992年末から1993年末にかけての1年間は話題性のあるソフトも多く、また同時期に「マルチメディア」なんて言葉が流行になって「CD-ROM」が最先端のメディアとのイメージが流布したこともあり、もっとも安くてソフトも多いCD-ROMマシンとして「DUO-R」がそれなりに普及した事実はあるようだ。

 だが1994年に入ると32ビットの「次世代機」の足音が聞こえてくる。先頭を切った「3DO」が3月に発売開始され、年末に発売されることになるセガの「サターン」、ソニーの「プレイステーション」の仕様が取り沙汰され、NEC-HEとハドソンも春には次世代機「PC-FX」の仕様を発表している。これらの次世代マシンはすべてCD-ROMマシンであり、CD-ROMで優位をもっていたPCエンジンの退場は時間の問題とみられていた。  それでもこの時期にPCエンジンは「アーケードカード」を投入して当時人気のネオジオ格闘ゲームを忠実に移植したり、ハドソンが期待の大作「天外魔境III」をアーケードカード専用ソフトとして発売するとアナウンスしたり(結局1年後にFXへ移行、そのまま立ち消えとなってしまうが)、5月にコナミが放った恋愛SLGの名作「ときめきメモリアル」(’94)が口コミで爆発的人気を得ていくなど、結構強気になれる勢いがあった。どうもNEC-HEとハドソンはFX発売を発表しつつも、しばらく両者の二頭立て体制で進められると思っていたフシがあり、「PCエンジンもまだまだ続けますよ~」という意志表明が、この「DUO-RX」の発売ということになるようだ。

 「DUO-RX」はその名が示すように「DUO-R」のさらなる廉価版である(ロゴも「DUO-R」に「X」が大きくつくデザイン)。ついに3万円を切った価格は、次世代機が4~5万円程度とみられていたこの時期では、過去のCD-ROMソフトの蓄積を考えればそこそこ魅力的だった。「ときメモ」効果や「天外III」のアナウンスもあってアーケードカードともども買った人も少なくなかったのではないかと思う。  「R」からの変更点は基本的にカラーリングのみ(CD-ROMドライブの性能が上がっていて読み込み精度・速度が若干いいとも聞く)。「R」のクリーム色に対してより純白に近く、メタリックな感じすらある。アクセントとして左上の「DUO-RX」のロゴとCDドライブカバーを開くボタンが紫の配色になっている。

 付属のパッドは従来のターボパッドではなく6ボタン仕様の「アーケードパッド6」となった。PC-FX専用パッドとほぼ同じデザインのパッドで、それまで一貫して平板だったPCエンジンのパッドの中で初めて立体的な構造を取り入れている。「アーケード」の名が示すように「アーケードカード」を利用した格闘ゲームの移植作を遊ぶことを想定したパッドで、以後別売もされてPCエンジン最末期の標準パッドの地位を占めることになる。

 結局これがPCエンジン最後のハードとなってしまうわけだが、「天外III」が1995年中に出ていれば「アーケードカード内臓型」の「DUO」が出ていたんじゃないかなぁ、という推測もある。だが1994年年末に32ビット機戦争に突入、「サターン」「プレステ」の猛レースとなって3DOもFXも完全に追いてかれてしまう。焦ったNEC-HEおよびハドソンはPCエンジン最後のキラーソフトともいえた「天外III」を95年3月にFXで発売すると発表、ここにPCエンジンは事実上の引導を渡されてしまった。それでもソフトはしぶとく97年3月まで一定の間隔で発売され、最後のソフトにいたってはFX市場消滅より後の1999年6月の「デッド・オブ・ブレイン1&2」(’99)まで続くという「長い晩年」を送ることになる。