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PCエンジンコアグラフィックス

3 バイト追加, 2019年3月10日 (日) 02:31
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コアグラ色ターボパッド 本体のカラーチェンジに伴い、同梱されるパッドもこれに合わせた色に変更された。 また「白PC」では同梱されるのが連射機能なしのパッドだったのに対して、コアグラ以降は連射機能つきのターボパッドが同梱とされていく。
 「コアグラフィックス」が発売されたのは1989年12月。PCエンジン発売開始から2年を経たこの時期、一定の成功をおさめていたNEC-HEはより高みを目指して強気のハード展開を行っている。11月に低年齢層向けの廉価PCエンジン「[[PCエンジンシャトルPCエンジンシャトル]]」を発売、12月には逆に高年齢のマニアゲーマー向けの上位互換機である「PCエンジンSUPERGRAFX」を発売している。「スパグラ」と同時に発売開始されたこの「コアグラ」は両者の中間層を狙う主力商品、という位置づけだったのだろう。価格も据え置き、名前もPCエンジンが抱える「コア構想」を強く意識したものとなっている。」を発売、12月には逆に高年齢のマニアゲーマー向けの上位互換機である「[[PCエンジンスーパーグラフィックス]]」を発売している。「スパグラ」と同時に発売開始されたこの「コアグラ」は両者の中間層を狙う主力商品、という位置づけだったのだろう。価格も据え置き、名前もPCエンジンが抱える「コア構想」を強く意識したものとなっている。
 「PCエンジン」ワールドを一つのハードではなく、それぞれのニーズに合わせた複線展開をすることで拡大していこう、という発想はまさにパソコン屋、家電屋のものだ。その発想自体は面白いのだけど、やはり外部からみると買い手の混乱を招いただけだったのではなかろうか。
 初代「白PC」の後継である「コアグラフィックス」は、「シャトル」「スパグラ」がコケていくのを横目に結局PCエンジン界の中心であり続け、1991年6月に「SUPER CD-ROM2」構想の発表とともに発売開始された「コアグラフィックスII」に引き継ぐまで売られ続けた。販売台数は不明だが、白PCほどは売れなかったというのが実態ではないだろうか。先述の複数ハード戦略の混乱に加え、1990年年末には任天堂がスーパーファミコンを発売したため売れ行きでかなり押されてしまったのではないかと推測されるからだ。
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