「アイバン・エドワード・サザランド」の版間の差分
imported>GamerBook 細 (→= 1959年) |
imported>GamerBook (→1963年) |
||
14行目: | 14行目: | ||
=== 1963年 === | === 1963年 === | ||
− | マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究者となっていたサザランドが博士論文の一環として[[Sketchpad]]を開発する。[[Sketchpad]]は、[[ディスプレイ装置]]に画像を映し出した世界最初の[[コンピューターグラフィックス]]であり、線分や円を描くことのできる世界最初の[[ペイントソフト]]([[CAD]] | + | [[ファイル:MIT Sketchpad program-ca-1965.jpg|thum|200px|right]] |
+ | マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究者となっていたサザランドが博士論文の一環として[[Sketchpad]]を開発する。 | ||
+ | |||
+ | この[[Sketchpad]]は、[[ディスプレイ装置]]に画像を映し出した世界最初の[[コンピューターグラフィックス]]であり、線分や円を描くことのできる世界最初の[[ペイントソフト]]([[CAD]])であり、[[コンピューター]]の操作を画面上で対話的に行う世界最初の[[GUI]]であり、その操作に用いる[[入力装置]]は世界最初の[[ペンタブレット]]であるとされる。これにより[[コンピューター]]の世界に突然変異が起きはじめる。 | ||
=== 1964年~ === | === 1964年~ === |
2012年11月11日 (日) 06:22時点における版
アイバン・エドワード・サザランド(Ivan Edward Sutherland)とは、コンピューターグラフィックスの世界における神、いわゆるゴッドである。
1963年にサザランドが発表したSketchpadはコンピューターグラフィックスの始まりであり、ペイントソフトの始まりであり、GUIの始まりであるとされる。
目次
経歴
1938年
米国ネブラスカ州ヘースティングスにて生を受ける。
1959年
カーネギー工科大学(現在のカーネギーメロン大学)で電子工学の学士号を取得する。
1960年
カリフォルニア工科大学で修士号を取得する。
1963年
マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究者となっていたサザランドが博士論文の一環としてSketchpadを開発する。
このSketchpadは、ディスプレイ装置に画像を映し出した世界最初のコンピューターグラフィックスであり、線分や円を描くことのできる世界最初のペイントソフト(CAD)であり、コンピューターの操作を画面上で対話的に行う世界最初のGUIであり、その操作に用いる入力装置は世界最初のペンタブレットであるとされる。これによりコンピューターの世界に突然変異が起きはじめる。
1964年~
米国国防総省高等研究計画局(DARPA)情報処理技術研究部門の部長に就任。
1965年~
ハーバード大学で電気工学の準教授に就任。
1967年
ダニー・コーエンとともにフライトシミュレーターを開発していたところ、その途中で線分クリッピングの画期的なアルゴリズムであるコーエン・サザランド・アルゴリズムを開発してしまう。
1968年
ボブ・スプロールとともに世界最初のバーチャルリアリティ(Virtual Reality, VR)と拡張現実(Augmented Reality, AR)を実現したヘッドマウントディスプレイ (HMD)を開発してしまう。このシステムは「The Sword of Damocles」と名付けられた。
1968年~
ユタ大学の教授に就任。後継者の育成に励み、後にCG界のスーパースターとなる人物を次々と誕生させる。
- 主な教え子
- アラン・ケイ
- Smalltalkの開発者。オブジェクト指向プログラミングの発案者であり、サザランドの発案したGUIを近代的な完成形に躍進させた人物であるとされる。
- アンリ・グロー
- グローシェーディングの発明者である。
- フランク・クロウ
- アンチエイリアス(英語ではspatial anti-aliasing)の発明者である。
- エドウィン・キャットムル
- テクスチャーマッピング、Zバッファー、B-スプライン曲線などの基礎を確立。またスティーブ・ジョブズとアルヴィ・レイ・スミスと共にピクサー社を設立し、RenderManの開発を主導した。
- ジェームス・ブリン
- サブピクセルレンダリング、環境マッピング、バンプマッピングなどを確立。
- マーティン・ニューウェル
1968年
デービッド・C・エバンスとともにエバンスサザランド社(Evans and Sutherland Computer Corporation、NASDAQ:ESCC)を設立し副社長に就任。後のCG関連企業の重鎮となる人物を次々と誕生させた。なお、ほとんどがユタ大学時代の教え子でもある。
- 主な従業員
- ジョン・ワーノック - アドビシステムズ社を創業。
- ジム・クラーク - シリコングラフィックス社を創業。
- エドウィン・キャットムル - ピクサー社を創業。
また同社は1993年にナムコから発売されたアーケードゲーム基板である「SYSTEM22」の設計を行ったことでも知られている。いわゆるリッジレーサーである。
1974年~
カリフォルニア工科大学の教授に就任。
2009年~
ポートランド州立大学の客員研究員に就任。
受賞歴
- 1983年 - スティーブン・A・クーンズ賞 - SIGGRAPH
- 1986年 - Emanuel R. Piore Award - IEEE
- 1988年 - チューリング賞 - ACM
- 1993年 - ACMソフトウェアシステム賞 - ACM
- 1994年 - EFF Pioneer Award - 電子フロンティア財団
- 1994年 - Association for Computing Machinery フェロー
- 1998年 - ジョン・フォン・ノイマン・メダル - IEEE
- 2005年 - コンピュータ歴史博物館 フェロー
- 2012年 - 京都賞 先端技術部門 - 稲盛財団
関連項目
参考文献
- ↑ Principles of Interactive Computer Graphics p.124 and p.252, by Bob Sproull and William M. Newman, 1973, McGraw–Hill Education, International edition, ISBN 0-07-085535-8