BSD原理主義
BSD原理主義とは、「BSD入門の心得」を唱え、かたくなで融通の利かない者の総称である。
概要
BSD原理主義者は主に「BSD入門の心得」の布教活動を行っている。 合い言葉は「ソース読め」である。
FreeBSDやNetBSDなどの「BSD」と名のつくOSを開発しているプロジェクトは比較的柔軟派が多い。 一方でApacheソフトウェア財団やPHPなどには過激派が多い。
実のところ、Linux, Apache, MySQL, PHPを一括配布するLAMPは水と油どころか、水と金属ナトリウムを混ぜてしまったほど危険なものであると言える。
紛争
その大部分はネトウヨやネトサポを若干知的にしたような人たちであり、敵対するGPLおよびLinuxを絶賛する者たちにテロ攻撃を仕掛けるなどの過激な行動でも知られている。
事例1 OpenSSH vs Linux
OpenSSHのアップデートを巡り、Linuxの神様であるリーナス・トーバルズ氏が「変更点を教えて」と、BSD原理主義団体の幹部でOpenSSHの作者でもあるテオ・デ・ラート氏に質問したところ、Linuxをミソクソに馬鹿にしたあげく「ソース読め(look at the source)」と返し、世界各国のマスメディアが取り上げるほどの紛争が勃発した。 [1] [2]
事例2 PHP vs MySQL
これはMySQLがSun Microsystemsに買収されるより前、古代の出来事である。
MySQLがGPL(LGPLではない)を武器に、世界各地のMySQL利用者(プログラムの開発者のみならずレンタルサーバーの顧客も含まれた)に「おまえの使っているプログラムをオープンソースにするか、さもなくば金を払え」と迫ったことに憤慨し、BSD原理主義団体Apacheソフトウェア財団の派生組織であるPHPがMySQLを排除する行動に出た。
そして、いきなりPHPからMySQLが利用できなくなり世界は大混乱に陥った。
この際にPHPがMySQLの代替として即席で用意したのが明らかに主用途の違うSQLiteであった。あまりに酷い措置であったが、少なからず無理に頑張る者も現れ、この紛争の末にSQLiteが爆発的に普及および進化することとなった。なお、この紛争はMySQL側が譲歩することで解決に至った。[3]
事例3 GCC vs Clang
gccがバージョン4.2.2からGPL v3に移行したことを受け、FreeBSDの中の人たちが憤慨し、新たにBSDライセンスのC言語のコンパイラを作ることを模索し始めた。その流れに資金の豊富な邪悪なBSDも同調し、またLinux陣営であるはずのGoogle率いるAndroidの中の人たちまで同調したことで、いわゆる職業プログラマーと呼ばれる人的リソースが大量動員され「clang」と「LLVM」と呼ばれるものが急速に発展することとなった。
C言語の仕様のデファクトスタンダードは、gccなのか、clangなのか、という紛争は長期化しそうな様相である。