「アイバン・エドワード・サザランド」の版間の差分

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[[Sketchpad]]は、[[ディスプレイ装置]]に画像を映し出した世界最初の[[コンピューターグラフィックス]]であり、線分や円を描くことのできる世界最初の[[ペイントソフト]]([[CAD]])であり、また操作を画面上で対話的に行う世界最初の[[GUI]]であるとされる。
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[[デービッド・C・エバンス]]とともに[[エバンスサザランド]]社([[Evans and Sutherland Computer Corporation]]、NASDAQ:[[ESCC]])を設立。後の[[CG]]関連企業の重鎮となる人物を次々と誕生させた。なお、ほとんどがユタ大学時代の教え子でもある。
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[[デービッド・C・エバンス]]とともに[[エバンスサザランド]]社([[Evans and Sutherland Computer Corporation]]、NASDAQ:[[ESCC]])を設立し副社長に就任。後の[[CG]]関連企業の重鎮となる人物を次々と誕生させた。なお、ほとんどがユタ大学時代の教え子でもある。
 
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また同社は1993年に[[ナムコ]]から発売された[[アーケードゲーム基板]]である「[[SYSTEM22]]」の設計を行ったことでも知られている。いわゆる[[リッジレーサー]]である。
 
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カリフォルニア工科大学の教授に就任。
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ポートランド州立大学の客員研究員に就任。
  
 
== 受賞歴 ==
 
== 受賞歴 ==
* 1986年 - IEEE Emanuel R. Piore Award
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* 1983年 - [[スティーブン・A・クーンズ賞]] - [[SIGGRAPH]]
* 1988年 - チューリング賞
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* 1986年 - [[Emanuel R. Piore Award]]  - [[IEEE]]
* 1993年 - ACMソフトウェアシステム賞
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* 1988年 - [[チューリング賞]] - [[ACM]]
* 1994年 - EFF Pioneer Award(電子フロンティア財団)
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* 1993年 - [[ACMソフトウェアシステム賞]] - [[ACM]]
* 1994年 - Association for Computing Machinery フェロー
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* 1994年 - [[EFF Pioneer Award]] - [[電子フロンティア財団]]
* 1998年 - IEEE フォン・ノイマンメダル
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* 1994年 - [[Association for Computing Machinery]] フェロー
* 2005年 - コンピュータ歴史博物館フェロー
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* 1998年 - [[ジョン・フォン・ノイマン・メダル]] - [[IEEE]]
* 2012年 - 京都賞先端技術部門
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* 2005年 - [[コンピュータ歴史博物館]] フェロー
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* 2012年 - [[京都賞]] 先端技術部門 - [[稲盛財団]]
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==

2012年11月11日 (日) 04:08時点における版

アイバン・エドワード・サザランド(Ivan Edward Sutherland)とは、コンピューターグラフィックスの世界における神、いわゆるゴッドである。

1963年にサザランドが発表したSketchpadコンピューターグラフィックスの始まりであり、ペイントソフトの始まりであり、GUIの始まりであるとされる。

経歴

1938年

米国ネブラスカ州ヘースティングスにて生を受ける。

1963年

MITの研究者であったサザランドが博士論文の一環としてSketchpadを開発。

Sketchpadは、ディスプレイ装置に画像を映し出した世界最初のコンピューターグラフィックスであり、線分や円を描くことのできる世界最初のペイントソフトCAD)であり、また操作を画面上で対話的に行う世界最初のGUIであるとされる。

1964年~

米国国防総省高等研究計画局DARPA)情報処理技術研究部門の部長に就任。

1965年~

ハーバード大学で電気工学の準教授に就任。

1967年

ダニー・コーエンとともにフライトシミュレーターを開発していたところ、その途中で線分クリッピングの画期的なアルゴリズムであるコーエン・サザランド・アルゴリズムを開発してしまう。

[1]

1968年

ボブ・スプロールとともに世界最初のバーチャルリアリティ(Virtual Reality, VR)と拡張現実(Augmented Reality, AR)を実現したヘッドマウントディスプレイ (HMD)を開発してしまう。このシステムは「The Sword of Damocles」と名付けられた。

1968年~

ユタ大学の教授に就任。後継者の育成に励み、後にCG界のスーパースターとなる人物を次々と誕生させる。

主な教え子

1968年

デービッド・C・エバンスとともにエバンスサザランド社(Evans and Sutherland Computer Corporation、NASDAQ:ESCC)を設立し副社長に就任。後のCG関連企業の重鎮となる人物を次々と誕生させた。なお、ほとんどがユタ大学時代の教え子でもある。

主な従業員

また同社は1993年にナムコから発売されたアーケードゲーム基板である「SYSTEM22」の設計を行ったことでも知られている。いわゆるリッジレーサーである。

1974年~

カリフォルニア工科大学の教授に就任。

2009年~

ポートランド州立大学の客員研究員に就任。

受賞歴

関連項目

参考文献

  1. Principles of Interactive Computer Graphics p.124 and p.252, by Bob Sproull and William M. Newman, 1973, McGraw–Hill Education, International edition, ISBN 0-07-085535-8